村上春樹と、地下鉄サリン事件の被害者62人とのインタビューをまとめた本。
かなり分厚い文庫本。
村上春樹が自身の本「回転木馬のデッドヒート」の中で、人から聞いた話が澱(おり)のように自分の中に溜まっていく、というようなことを言っていた。
この本を読んでいると、まさにそのような澱が溜まっていく感じがした。
62人の被害者の証言はどれも、ものすごくリアルで、それぞれの被害者の人生を垣間見ることができる。
それでいて、とても興奮するような内容かと言えば、そうではなく、似た感じの話が繰り返されているような印象を受ける(もちろん中には読んでいて涙が出てくるようなものもあったが)。
ただ、62人の人々の話が着々と心の中に沈殿を形成していく。
1995年の東京の地下で起こった惨劇が、じわじわと姿を現してくる。
僕はこの分厚い本を読むにあたって、寝る前に2人の被害者のインタビューを毎日読むことにしていた。
そして、読み終わった今、なぜか心はほっとしている。
寝る前にもうこれ以上この事件のイメージを蓄積していかなくて済むのか、と安心したからだ。
(なら寝る前に読まなきゃよかったじゃないか、と言われればそれまでだが)
けれど、安心したからと言って、じゃあもうこんな事件のことは忘れてしまおうとは僕は思えない。
恐らく、この事件ほど日本人が忘れてはいけない事件はないんじゃないかと思う。
地下鉄サリン事件、オウム真理教は、日本に広がっている大きな歪みを内包している。
決してそれ単体で完結している問題ではないように思える。
再び麻原のような人間が現れたときに、今の社会が、それか今の個人が、10年前よりも耐性を得たかといえば、そんなことは断じてないように思う。
むしろより歪み易くなっているような気さえする。
僕だってどう転ぶか分からない。自信がない。
ならどうしたらいいだろう?
歪みが溜まっていき、いつか大変なことが起こる、といったときの「いつか大変なこと」を防ぐにはどうしたらいいんだろう?
多くの人はシステムを変えればいいと考えるかもしれないが、僕はそんなものは無理だと思っている。
システムはこのまま歪んだ感じのまま突き進むしか道はない。
その代わり、もっと個別の問題に対処する方法を拡充させる方が理に適っている気がする。
大枠では歪みを抱えて進み、個別にはその都度サポートを提供する。
まぁそれはそれで難しいわけだが。
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- 2008/09/07(日) 22:12:44|
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ダークナイトを観た。
「メメント」のクリストファー・ノーラン監督の作品だけあって、かなり深いメッセージを持ったいい映画だった。
正義とは何か?悪とは何か?をバットマンとジョーカーの戦いから見事に描いている。
映画の中では主人公のバットマンよりも、むしろ悪役のジョーカーの方が魅力的に描かれているように思った。
バットマンの正義にはどことなく不安定な部分が見られるが、ジョーカーの放つ悪には、とてつもなくしっかりした思念があるように感じた。
映画全体として、正義VS悪というよりも、ジョーカーの言動に対する、バットマンのリアクション、という構図で捉えた方が、しっくりくる。
バットマンという絶対的な(といわないまでも非常に大きな)正義が存在しなければ、ジョーカーという禍々しい悪は存在しない、と作中で語られている。
大きな正義がなければ、チンピラが小銭をくすねる程度の悪が横行するだけの世の中になってしまう。
大きな正義の前では、小さな悪は存在できない。
そのかわり、その正義を飲み込む程の巨大な悪が生まれることになる。
だから、ジョーカーはバットマンに言う、「俺はお前を殺さない」と。
なぜなら、
「退屈になってしまうから」と。
この言葉はかなりぐさっときた。
やはり、あらゆる物事は循環しているべきで、取り込み口があれば、必ずはけ口を用意しておかなければならないのか。
アメリカが振りかざす世界の正義。
その対立として捉えられる原理主義やテロ。
しかし、その単純な構図ではどうしてもうまく立ち行かない。
純粋正義も、純粋悪もどちらも同じくらい歪んでいる。
むしろ、歪み方の度合いとすれば、純粋正義の方が、偽善的な要素が加わる分だけ不自然に歪んでいるのかもしれない。
アメリカの抱える問題を、とてもうまく描いているように感じた。
ただ、残念なのは、前作「バットマン・ビギンズ」を観ていなかったこと。
ところどころ、よく分からない部分があったのはそのせいだと思う。
近い内に「バットマン・ビギンズ」を観ようと思う。



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- 2008/09/06(土) 23:25:01|
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タイトルを読んで字のごとく、チベット問題とは何かを分かりやすく解説した本。
こういうタイプの新書は、自説を並べ立てるのではなく、純粋な知識として、内容を吸収することができるから好きだ。
ところどころ、政治や経済に対する著者の自論が展開される部分もあるが、基本的にはチベット問題の歴史や今後の方向性が述べられている。
この本を読んで、一番印象に残ったのが、ダライ・ラマ14世のすごさだ。
チベット仏教の最高位の僧侶でありながら、私はただの一介の僧侶です、という謙虚な姿勢に胸を打たれた。
ノーベル平和賞まで受賞する宗教指導者が、これほどまでに普通のおじさんのように振舞うなんて信じられない。
やれオーラが見えるだとか、やれ超越世界へ行けるだとか、言っている連中は何なんだと思ってしまう。
中国との関係を考えた上で、今後どういう風にチベット問題に対処していくのか、他人事で済まさないよう自分の頭で考えていこうと思った。
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- 2008/09/05(金) 00:15:19|
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ショウペンハウエルが読書について、手厳しく説いた本。
「思索」「著作と文体」「読書について」の三部構成。
「思索」と「読書について」は似た内容を語っている章で、要するに
「読書は他人にものを考えてもらうことだから、本ばっかり読んでいると自分で考える力がなくなりますよ。」
ということを言っている。
確かに、本を読んでいる間は、文書の流れに身をまかせるだけで、自分の頭自体はあんまりはたらいていないように感じる。
読書中よりもむしろ、風呂に入っているときの方が、自分でなんやかやと考えているように思う。
なら、全く本を読まないことを勧めているのかというと、そうではなく、
「本を読んだらきちんと消化しろ」
ということを説いている。
これもまさにごもっとも、読んだ後、全て流れていくようなら、本の代金も、本を読んだ時間も無駄になってしまう。
そして
「読むなら三流文筆家の新刊じゃなく、歴史の試練を乗り越えた古典を読め」
とも言っている。
本屋に行って、ずらーっと並べられた本の中で、夏目漱石や森鴎外の本みたいに、100年経っても読み継がれていく本が何冊あるんだろう。
茂木健一郎の本なんて、ムーディー勝山のように、すーっと消えていくんだろうなぁと思ってしまう。
で、「著作と文体」の章では読書や古典云々と違って、文法や単語の用法について述べられている。
特に最近のドイツ語で(といっても250年近く昔のことだが)、未来完了、現在完了、過去完了の部分を単純な過去形で済ませていることを、厳しく批難している。
物事を伝えるのに必要な「ニュアンス」を、安易に単純化し、言語が貧困化していると指摘している。
英会話で完了形を全然使えていない僕としては、「言語の貧困化」というのがよーく分かる。
こういうことが言いたいのに、どう言ったらいいか分からん、という思いを何度繰り返していることか。
過去完了や未来完了なんか、絶対にすらすら会話で使えんもんなぁ…。
言葉の大切さ、読書の姿勢をこんなに薄い本から学べるのだから、この本はかなりお得だと思う。
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- 2008/09/03(水) 22:08:15|
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昨日、今日と研究室のみんなと白浜へ遊びに行った。
2日間何をしたかというと、ひたすら海で遊びまくった。
観光へ行くグループと海で遊ぶグループに分かれたが、僕は2日とも海ではしゃぎ通した。
おかげで、今はものすごい疲労と、皮膚のほてりに苛まれている。
それでも、めちゃくちゃ楽しい2日間だった。
やっぱり、思いっきり海で遊びまくるというのは、ストレス発散にとてもいい。
飲み会で酔ってはしゃぐのとは、全然訳が違う。
あと、何がよかったかというと、泊まった民宿がとてもよかった。
民宿「
あきら」というところで、ビーチが目の前だわ、温泉が目の前だわ、部屋がきれいだわで、いいことずくしだった。
何より民宿のおばさんがとても優しくて、いろいろ優しくしてもらった。
また、来たいなぁと思うが、民宿に泊まるのは大学生までなのだろうか。
ちょっと寂しい。
やっぱり休みは、だらだらと過ごすより、疲れて眠りこけてしまうくらい思い切り遊んだ方が、次の日から頑張ろうという気持ちになれる。

海と船と夕陽。
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- 2008/09/02(火) 23:28:24|
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